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2014年7月29日 (火)

自ら律する大事さ

最近極めて腹の立ったことがあります。

先日、小学生が誘拐され、幸いにもその犯人が捕まると同時に、誘拐された小学生が命に別状無く救出されたことがありました。この犯人、私と同じ年ということで、恥かしくまた怒りを感じます。

その起こった事自体にも腹立たしいことはありますが、それとは別に余りにも情け無いことがありました。

それは週刊文春という破廉恥な週刊誌の事で、事件の被害者の写真が加害者の写真と並べられて吊革広告に出ていたことです。


何でそんなことが必要なんですか?

事件が解決する前に写真が出る事自体は、公開捜査という性格上仕方ない事だと思います。それはいい。でも、事件が解決した後に何故それが必要なんでしょう?いや、必要かどうかというより、積極的にそういう情報は出さないようにすべきです。命に別状は無かったとは言え、普通では考えられない事件に何の非もない小学生が巻き込まれたわけで、世の大人は、只でされ好奇の目に晒されるのはわかっているこの子を守ることに必死にならなきゃなりません。それには事件は風化させず犯人の責任と再犯を防ぐことをしながら、出来る限り被害者を良い意味で忘れることが必要なはずです。

もし万が一、「この写真を出してくれ」と言われても(そんなことはないはずですが)、自己の判断でそういう写真を載せることは止めるべきではありませんか?更に言えば電車の中という公衆に出しているわけで、何か正義面をしながら後ろでニヤニヤしている光景が浮かんでしまいます。

私は、マスコミを一様に「マスゴミ」などと批判するのは間違っていると思っています。私の知人友人でも色々と悩んでマスコミの仕事を行なっている人を知っています。また、多くの場合はその言葉を自分の意見が通らないことへの隠れ蓑にしていると感じています。ですが、この場合はゴミ・クズ以下です。


こういうことをやっていると、何かの拍子に自分達の都合の良いようにしようとする権力者にあっさり隙をつかれると危惧します、「そんなことやってるのは問題だ、はい、規制」という風に。自由を行使する側はその行使に慎重であるべきで、「何でもやっていいんだ」というのは必ず自分に返ってくるはずです。私はそれが怖い。


ゴシップマスコミというのも私は存在意義はあると思っているんです。大体綺麗な事ばかりで世の中が構成されているわけじゃない。ただ、それは大人の世界に限定されるべきではないんでしょうか?抵抗も反論もできない、ましてや今回は被害者である子供を表に出していくというやり方には虫唾が走る。こういうのは手に取らない、買わないが一番だと思っています。

(実はこれを書いている事自体が、いい意味の風化を妨げている可能性がある事は否定できません。その点で最小限の経緯・属性しか書いていません)

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