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2014年10月25日 (土)

発明と対価、ノーベル賞受賞者とその発言

さすがに沈静化したノーベル賞、青色LED関連での三人受賞。まあ日本人が二人とアメリカ人一人だ、という声もありますが、そこは置いておいて、とにかく青色LEDの元になる窒化ガリウムの開発及びその量産ということで、素晴らしいというか、私にはもう良くわからない世界ですね。多少なりともこの業界には関わっていたのですが、MOCVDまでは判ってもツーフローって単語が入ると「へ?」っていう。

そんな中で、かつての裁判からの流れで、受賞者の一人である中村修二氏の特許に対する発言がやはり話題になりました。

この点については、彼が言っていることはどうにも理解が出来ないんですよ。

根本的に企業のR&Dに関わる人の評価というのは難しいんですよ。結果と成果の切り分け、時間軸の違い、投資と回収のバランスなどなど、簡単に言えば「仕事が金に結びつかないことが多い」ということ。その中でR&Dの人たちをどういう風に処遇するか、というのは悩ましいところなんです。例えば研究を始めてそれが金になるまで10年、20年なんて当たり前で、例えば中村教授のような日の目を見た例(実際にはツーフローMOCVDは量産では使えないという話はあるが)は極めて少ない成功例なんですよ。だからその成功の後ろには大量の失敗が実はセットで存在している。
だから、「特許は会社であっても個人に帰属させろ」というのは「リスクは会社が全部取ってくれ、成果は個人が全部貰う」というのに等しい。誤解されたくないんですが、このリスクの撮り方は、当然会社に比重があって良いとおもうんです、会社と個人の力関係は非対称で会社が強いですから。ただ、それが「特許は個人帰属」という所に行くのはそのバランスが逆におかしくなっているというだけで。
この論法で行けば、販路を自分で開拓して得た利益は従業員個人のものになるのか?ということになります。いや、その開発・開拓の難しさではなくて、起きている現象は同じでしょうね。当然その評価は考課・報酬で報いられるわけですが、それを成果と比例して行なうのであれば、失敗の時の対価もマイナスで効いてきておかしくない。重ねて言いますけど、この辺の対価もそうで、会社が負うべきリスク値と個人が負うべきリスク値は同じであるべきじゃないと思います。ただ、もし成果報酬を極端に大きくするのであれば、ある程度の失敗補填的なものも(例えば個人による弁済とか)も話として出てくる。
アメリカでは夢の様に金が儲かるような話をしていますが、それも違ってて、アメリカは成果でないのに何年も雇ってくれないですから、最初に工程表出して、それから外れたら首、でしょうね。自由には必ずその裏返しがある。
ノーベル賞受賞者がどれだけ変人だろうが構わないと思います。そりゃ良い人の方がいいだろうけど、その「変人」である事がノーベル賞クラスの発明に繋がっていることもあるでしょう。ただ、そこから離れた時に「彼はそういう優秀な人だから」と全ての発言が免罪されるのもおかしいと思う。彼の発言は発言としてちゃんと精査されるべきだと思うんですよ。
個人的にはR&Dに関わる人の評価はある程度結果成果が見えるまではフラットで良いと思う。で、事前に報酬の比率目安を決めておくといいと思うんですよ。ここは業界によって「業界時間」が違うからどの程度の時間を猶予するかは変わりますけど。
何かこの点については違和感だらけだなあ、ということなんですね。

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