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2014年12月29日 (月)

これからを思う

今年も終わろうとしてるわけで、有難いことに忘年会にもいくつも誘って頂き、感謝に堪えない今日この頃です。時代は変わってきているとはいえ、辞めて5年にもなる前職の方々に誘って頂けるのは本当に嬉しいことです。

で、今回前職のとある先輩と飲んでいまして、色々近況報告などをしてると、以前の共通の知人の状況について話が出てきまして。

その方はそれなりに関係のあった方です。業務能力の長けた切れ者でしたが、若干私が一方的に苦手に思っていたのかも。それで、その方がどうしているか、と聞いたら、なんと若年性認知症である、と。まだ60台前半のはずです。

うーん、となってしまいましたね。

ご自身の気持ち、家族の不安、周りの接し方、私には想像がつきません。こればかりは不摂生とか全く関係なく降ってくる病気ですし、防ぎようも回復もない(と言わざるを得ない現状ですね)わけです。当然知識や情報としては知っていても、自分が直接知る人がそうなってしまう、ということには少なからずショックというか、思うものは多いです。

自分ならどうするだろうか?まだそうなっていない今をどう過ごすべきだろうか?

「そうなることもある、だから今やれることをやろう、金は気にするな」というのも一つであれば、「そうなることもある、だから今はそうなった時のために準備しよう、金は大切だ」というのも判断だと思います。何か今は前者の考え方が主流である気がしますが、この二つの選択に善悪があろうはずもなく、中間を取るべきことでもなく、あくまで個人の思想の問題でしょう。あとは関わる家族とのバランスですね。

正直なところ、素晴らしい解などありません。自分の気持ちとしては「やりたいことをやる」ということですが、それで他の関わる人に迷惑をかけてちゃ仕方ないですしね。どこまでわがままにやりたいことをやるのか。ぼんやりと人生の後半を考えてきていますが、こういう事実を見せられると、更に考え込んでしまいます。

実を言えば、「悔いのない選択」なんてないんじゃないか、と思っています。二つの選択が同時に出来ない事象で一つを選んだら、成功と思えない限り何らかの悔いは残るでしょう。また、やり残した、という気持ちはどこかに残るんじゃないか、って思うんですよ、どんなに実績を上げても努力しても。「努力したんだ、失敗してもいいじゃないか」というのはあれは嘘ですよ。

他人の不幸で自分を見直すなどというのは、あまり能動的ではないし、良いことでもないでしょうが、せめて自分はどうする、どうあるべきかを、今やることで考えるようにしたいな、と思います。

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