今から出来ることって何だろうかとぼんやり考えた
突然ですけど、21世紀が始まる時、「20世紀はいつなんだ?」って話が出たことがあります。で、1901年から2000年なわけで、2000年はまだ21世紀じゃなかったわけです。
私、元々年代の区切りで物事を考えるのは余り好きじゃないというか、「それって意味があるの?」というのがあるんですが、でも、やっぱり自分の年代、というのは何処かで考えてしまいます。
例えば、今は50歳なわけですが、年次の区切りで言うとまだ40代と言っていいのか?いや、いい、と勝手に区切りますがw、まあ生きていればいずれ年は重ねるのは必定、そこでまだ40代と言っても、もうあと数ヶ月で名実共に(?)50代に到達するわけです。
先日私の前職の先輩と話してて、「やっぱな、50っていうのは大きいぜ」という事をこんこんと言われました。それは気分的な事もあるでしょうし、環境的なものもあるでしょう。私で言えば、結婚が比較的早かったこともあり、既に子供二人は家を出て大学院と大学にそれぞれ進学しています。そうすると形態は新婚当時に戻った訳ですが、当然同じな訳も無く、親の健康も悪くなって来る事もあり、中々にすっきりしないものがあります。
自分自身だって同じで、これからは40代で感じなかった体力の衰えみたいなものは出てくるんじゃないかな、と。まだ今の時点で感じるものは無いですけど、一度感じると恐らくは坂道を転げ落ちるようになるのではないか、という恐怖があります。先日同世代の人と、「ハルンケアの共同購入でもしますか?」なんて冗談を言っていましたが、あながち冗談でもなかったりして。新しいものへの適応だって恐らくは難しくなるな、と感じています。正直、自分自身は音楽で色んな方と繋がっているんですけど、多くの私よりかなり若い人は、やっぱり付き合うのは躊躇するだろうなあ、とこちらが思ってしまいます。つき合わせて申し訳ないっていうかね。
出るかどうかわからない年金支給年齢まであと15年になっていて、今から15年前の35歳がつい先日だったことに多少の恐怖を覚えることもあります。とにかく加速度的に日々の時の流れが速くなる。その中でまあ自分の先っていうのもある程度はわかるわけで、大したことが無かった人生が一転凄く高揚した人生になることも無いでしょう。それが悪い、と言うわけではないのですが、興奮するような出来事、例えば子供が出来るとか仕事が劇的に変わる、ということはもう恐らくは来ない。
とはいえ、その中でも一つ「時間」というのは割と恵まれてくるのではないか、という期待はあるんですね。当然これは健康と収入がある水準で担保されているのが条件ですけど、子供に時間を取られないのはかなりの優位。休みも割と融通付けられますし、無理に休みのシーズンに休む必要もない。
なんて考えながら、これから何やるかな?って考えてます。一つは「体力の必要なことはどんどんやっておく」ということでしょうか?一つは旅行なんですが、できるだけ遠いところから行こうと。近くても行くのが難しい所とか。金の心配は当然あるし、まだまだ仕送りも厳しいんですけど、まあそれはそれ、これからは金を残してもしょうがないし、最悪クビになって子供をどうするか考えたら、自分が樹海に行って少ない生命保険で何とかなるかな?とw。遺族年金も出るでしょうし。
あとは、「迷ったらやる、という前提で考える」ってことですかね?これはどの年代でも言われることですけど、特に意識していないとどうしても保守的になりやすいから、むしろ強く心に留めておきたいな、と。命を取られることじゃなければやってみる、っていうのでいいのかも知れません。ただ、この年で大失敗こいたら、挽回する時間がないからその辺の見極めは、これまた優位にある「経験」って奴で何とかしようと。
ということで、一つ今年はでかいことをやろうかと思っています。
待て、次号(はあ?w)!!
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