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2016年5月11日 (水)

修行の身として

すでにクラシックギターのレッスンも3年目に入りました。その割にはまだまだ弾けてないというのが悲しい現実。やっぱりエレキよりは自由が利かないところも多く(じゃあエレキはどうなんだ、という突っ込みは無視w)、本当に巧くなってるのか?という疑問が。

更に、上がり症で間違いが怖い私、ちょっとこんな本を。
Cik2pwpukaabjop

とにかくミスが怖いんですね、人前だと。更に言えばそのごまかし方も良く出来ない、というのが大問題で。

他の方からは、「楽しんじゃえば良いじゃない?」という言葉をいただくんですが、何しろ間違えたら楽しめないというこの性分、どうしようもないわけです。

上がり症についても、何度人前でやっても全く直らない。クラシックなんて足が途中から震えるというなぞの症状、全くもって自分で制御できません。


基本は練習だとは思うんです。ですが、それでどう考えても間違えないところを間違えるというのは、実際には防ぎようがない。わざと間違える練習というのもあるのかも知れませんが、まさか一音ずつ止まった時の対応を練習するわけにも行きません。さらにやらないと忘れてしまうという鳥頭。だからレパートリーが増えない。


なんていう、一体何のために弾いてるか良くわからない状況を少しは緩和してくれないかな?という思いで買ってみました。著者はイェール大学卒業(というか、そんな名門大に音楽関係があったことは知りませんでした)、その後もステージと教育を平行して行っているピアニストです。
これで少しは巧くならないかな?

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